民主主義の保障する自由を乱用して民主主義を破壊しようとする運動
(ナチズム)に対し、民主主義をどう守るべきか
。民主主義体制における自由の中に、民主主義体制を根本的に破壊する自由
は含まれるのか。
これは、自由のパラドックス、トレランスのパラドックスと呼ばれる場合と同じに考えられる。すべてのものにトレランスでなければいけないとして
、トレランスを保障する原理そのものを否定する
イントラレン卜に対しても、トレラントでなければならないか
。
この問題に対しては、消極的な、リベラルなデモクラット
どこまでもリベラリズムに徹する態度
をとるか、積極的なミリタントなデモクラット
たたかう民主主義者の態度
(ボン憲法)のいずれかをとることになろう。
この問題は難問だが、ラッセルは後者の姿勢を取った。
まずラッセルが、強気なリベラリスト
ということに注意しておきたい。ラッセルは第二次直前に書かれた自著の中で、イギリスの植民地を守るための武力を廃止し、他国が攻めてきても無抵抗であることを主張した。そうなると、海外の領土はだんだん小さくなって、しまいに本国だけになるだろうが
、無抵抗でいる限り本国は無事に残る、それでいいじゃないかという極端な無抵抗主義
をとった。
ここでのラッセルには、先程のリベラル・デモクラットの態度
が現れている。なお、戦時中、日本も軍備を全廃し、戦艦をぜんぶ太平洋のまんなかへもっていって沈めてしまう
。植民地はそれぞれ独立するが放置しておく。そうしたら、どうだったろうか
。結果において戦後と同じことになったのではないか。
こんなに大勢の人間を殺さないですんだじゃないか
。
無論ラッセルは、後にリベラルなデモクラットから、ナチと戦うのは、デモクラシーを守るために必要である
というミリタント・デモクラットの態度
をはっきり示すようになった。このようなラッセルの態度の背景としては、①悪に対する怒りというようなものの必要
を説く強い性格
、②傍観する、外で見ている
、逃避するという、無責任
なところに結びつくスケプティック
とは真逆のパッショネイトなスケプティシズム
、つまり非常に冷たい、科学的な態度
をもちつつ、投げやりにならずあくまで情熱をもって、人類の幸福のためにデモクラシーと平和のために戦う
姿勢、の二点があげられる。
宮沢俊義「たたかう民主主義者」、同『憲法論集』(1978年、有斐閣)371−387頁。