① 自由権は国家に対する自由として考えられてきたものの、伝統的憲法学の主流には、資本制生産の支柱である『所有権不可侵』『職業の自由』に関する限り、例外的に第三者に対する直接的効力を引き出す無意識傾向
がある。
② そもそもブルジョアジーを中心とする階級は、自然法的自由・平等を旗印として
市民革命を遂行した。そして革命後、新しい市民国家建設においては、彼等のために形式的に自由・平等なる人格、所有権、契約自由を全面的に確立すること
が課題となった。これらは法律に因って具体化されたが、その一方思想、良心の自由や言論の自由等は、ただ国家に対して保障されるだけで十分
とされた。彼等にとってそれらの自由を侵害する『第三者』は存在
しなくなったからであった。
③ ブルジョアジーにとって革命はもはや無用
となった。19世紀は、ブルジョア的人権たる所有権および営業の自由の私人間相互における絶対化の時期
であり、立法によりこれらの自由について第三者効力の保障が全面
に出てきた時代であった。
④ しかし19世紀後半から、資本主義の発展はその内在する矛盾を顕在
せしめるようになる。民事裁判官は、自由法運動に励まされつつ
、一般条項に基づき私的自治の濫用を制限した。この段階で、『人間らしき生活』の確保が意識されるように
なった。また、新たに生じた労働法の領域では、労働者の権利による所有権および契約の自由の制限が行われた
。この労働関係の領域においても、人間性の確保が切実に要求されている
。この要求は憲法上の承認を求めようとする。そこに現代における第三者効力の焦点がある
。
稲田陽一「自由権の国民相互間における効力について」、同『憲法と私法の接点』(1970年、成文堂)32−34頁。