主観的違法論と客観的違法論については、メツガーの理論を見なければならない。
前者は、法を『ただただ人の行為に対する命令規範』
と考える。ここで主観的違法論に対しては、法は『命令規範』であるだけなのか?
という第一の問題が生じる。この点については、命令規範としての法は評価規範としての法
を必要とする、この評価規範としての法は命令規範としての法の無条件的な論理的前提
となる、と解される。
次に、評価規範、命令規範いずれの上に不法論を立てることが実際上より合目的的であるか
という第二の問題が生じる。前者の上に立てれば客観説、後者の上に立てれば主観説となるが、実際的合目的性
により、どちらを選択するかが判断される。この点、法の課題は人々の外的な共同生活
を確保するとことにあるとすれば、客観説が正しいことになる。法は客観的生活秩序であり、違法は、したがって、この客観秩序の侵害である
。
客観的違法論に対する反論として、雷や雷電もまた人間と同様に違法に行動しうることになる
というものがある。この反論が前提とする違法の主体
の考えについては、違法概念は、違法に行為する主体なしには考えられない
というのは誤謬である(受命者なき規範
概念)という批判を向け得る。
ここで違法と責任が理論上截然と区別され
るに至った。では責任はどう解されるべきか。今まで主観的違法論が、不法の本質的要素であるとした主観的要素は
違法の中から脱落せしめられて
責任概念の中心とされることになった
(E・シュミットらの規範的責任論に注意)のである。
佐伯千仭主観的違法と客観的違法
、同『刑法における違法性の理論』(1974年、有斐閣)80−94頁。