2023年8月11日金曜日

【憲法学】穂積八束「国家」

  「国家の人格」

 ① 「通説ハ国家ヲ法人」として理解する。私はこれに対し、国家を「単二人格ヲ有スル」ものとして理解する。この法人という言葉は「通俗ノ用例極メテ乱雑」なものであるが、学者はこの乱雑さ等に乗じて、「国家ハ法人ナリト謂フノ外形無難」な定義を掲げ、そこにひそかに「国家ハ民主協和ノ社団」ということを暗示させようとしているが、「猾悪」であろう。国家が人格を有することは、「国体ノ君主制タリ共和制タル二関セサルナリ」。進歩した「国家ノ特質ハ法人タルニ在ル」と主張して、旧来の君主国に対して「一種異ナルノ法人国ナル者存立」するかのような誤解を生じさせるのはでたらめである。

 ② 国家を「公法人」と理解するものが多い。もし人格に「公私ノ二種アリ、国家ハ公法人ノ人格ヲ有スル」と主張するのであれば、それは誤りである。「国家モ個人モ、共二公法ノ上ニモ、私法ノ上ニモ、同時二人格者」であるからだ。「国家ト国庫トヲ法律関係ノ上二分割シ」、前者を公法人、後者を私法人とする解釈があるが、「個人ノ身体ト」財産とを分離して、人格二様ヲ謂フモノ二似テ」いるため、私は支持できない。

 ③ 私は「国家二自主ノ生存アリ」とするが、これを「否認」し、国家を「人ト人トノ会社契約ニシテ」、独立自主の権力ではないとする人もいる(「民約説」)。しかし「歴史ノ事実之ヲ証明」するものはないし、我々の「日常ノ直感二反」シ、この説の根底については、我々と「立脚ノ基礎ヲ異ニスルモノ」である。

 長尾龍一編『穂積八束集』(2001年、信山社)61−62頁。

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