「一 刑罰の本質」
刑罰は、犯罪(悪行)に対する応報(悪報)であり、「善行に対して褒美が与えられる」のと同じ関係にある。「『汝から出たものは汝に帰る』」のであり、ここに言う「悪行に対する悪報の要素を備えていない刑罰は、いつの世にもなかった」。応報は、「犯罪と刑罰を結びつける唯一の普遍的な要素」である。
「二 刑罰の存在理由」
刑罰の存在理由を論証したのはヘーゲルである。「法の否定である犯罪を重ねて否定して、法を復活させる」そこに刑罰の存在理由が成立するという。つまり、「刑罰は法の否定の否定である」。
なお、ヘーゲルの見解は、カントに比べると「一つの進歩であると考えられる」。カントは、「ただ、犯罪という悪のために刑罰という悪を加える」、そして「犯罪があれば必ず刑罰を科さねばならない」とする。それに対してヘーゲルは、ただ単に悪を犯したので更にこれに悪を加えることの不合理性を宣言したが、そこに「近代的感覚」が見られるからである。
「三 刑罰の苦痛性の理由付け」
ヘーゲルによれば刑罰は苦痛であるが、犯罪に対する反動として是認せられる根拠はどこにあるか。ヘーゲルはこれに答えていないが、「苦痛の贖罪作用がこれに答える」。
この苦痛によって「犯罪はつぐなわれ、責任は解除せられて、社会は元の清らかな状態に復する」。苦痛の贖罪作用は「世界史上意味の深い思想の一つである」。文芸作品が罪と罰を題材とする理由も、この思想が「人性に深く根ざすところの要求に合する」からである。「ヒーローの悲劇的責任」がつぐなわれて「美と調和が成り立つ」。「罪のないのに苦しむ悲劇」に芸術的に価値のないわけは、「罪をつぐなうことに」「美をもたらす力があるからである」。「刑罰の責任解除」も、悲劇における罪と罰の関係と同様のものがある。
瀧川幸辰『刑法講話』新版(1987年、日本評論社)235-239頁。